「食堂だけでなく人も救った」韓国料理研究家ぺク・ジョンウォン先生の成功を徹底深掘り

韓国料理研究家ぺク・ジョンウォン先生の成功を徹底深掘り。プロフィールを紹介。韓国芸能

韓国料理や韓国バラエティーなど、韓国コンテンツが好きな方なら一度は耳にしたことがある“料理研究家ぺク・ジョンウォン先生”

香港飯店0410」、「セマウル食堂」など、現在日本で展開しているお店も多く、ペク・ジョンウォンさんの人気とともにお店も話題を集めています。

日本の韓国コンテンツファンからも“ペク先生”という愛称で呼ばれて愛されているペク・ジョンウォンさん。

料理研究家としての経験やノウハウを生かし、“売れない路地裏の食堂を救おう”という趣旨で、これまで数多くの食堂を救ってきましたが、最近、人をも救った善良な行いが注目を浴びていましたので、ここで紹介いたします。

食堂を救ってきたペク先生、今度は人を救う

2023年10月16日、📝毎日経済をはじめとする韓国の各種メディアは、ペク・ジョンウォンさんが意識を失って倒れた食堂の従業員を救ったと一斉に報じました。

10月11日、忠清南道(チュンチョンナムド)錦山郡(クムサングン)のある食堂を訪れ、食事をしていたペク・ジョンウォンさんは、食堂の従業員が倒れた姿を見て慌てて駆けつけ、緊急心肺蘇生法を行ったとのことです。

この場には、錦山郡長のパク・ボムイン氏や観光公社の本部長なども一緒におり、ペク・ジョンウォンさんは救急車が来るまで心肺蘇生法を実施。パク・ボムイン氏と観光公社本部長なども倒れた従業員の手足を揉んで意識を回復させるために懸命な処置を行ったといいます。

食堂側が通報し、救急車を待っている間に幸い従業員の意識が回復。その後救急者に患者を引き渡したと伝えられました。

この日、ぼったくりのない優しい価格文化の観光祭りのモデル対象に“錦山世界人参祭り”が選ばれ、ペク・ジョンウォンさんは該当の行事に参加するために錦山を訪問していました。

ペク・ジョンウォンさんの関係者は「軍隊で将校として任務した経験があり、心肺蘇生法を基本的に知っていたため可能なことだった。ペク・ジョンウォン氏が、そのような状況の際は誰でもできることだと言っていた」と伝えたようです。

ペク・ジョンウォンさんってどんな人?

外食フランチャイズ業界の「ミダスの手(触れたものを黄金に変える手)」「商売の神」と呼ばれているペク・ジョンウォンさん。

1966年9月4日、忠清南道(チュンチョンナムド)礼山(イェサン)で生まれ、美食家の父と料理の腕前が優れている母の間で、小学生の頃はグルメの両親について全国の美味しいお店を訪れたと伝えられており、幼い頃から食べ物、料理に関心が生まれる環境で育ちました。

大学生の時には、アルバイトをしていたビアホールを1カ月で買収してしまい、大学3年生の時は、3つもの店を運営しながら15億ウォンを稼ぐほど。アルバイトを始めた理由は、ビールを思う存分飲むことができたからだとか。

大学生という立場で店を買収して拡大することは、相当な財力を持った実家の後押しがあったことはもちろんですが、ペク・ジョンウォンさんの優れた事業感覚がなかったら不可能だったことでしょう。

事業失敗から今の地位に上がるまで

ペク・ジョンウォンさんは除隊後、1993年に「元祖サムパプチプ」という食堂を買い取って飲食業に参入することになり、1994年に現在の(株)THEBORNコリアを設立し、本格的に外食フランチャイズ業を始めました。

しかし、ここでペク・ジョンウォンさんの人生最大の屈曲が始まります。

IMF(国際通貨基金)の危機によって住宅事業が失敗し、当時自分の手元には17億ウォンの借金と「元祖サムパプチプ」の店が全てだったといいます。

IMF(国際通貨基金)危機とは?

1997年11月21日、外貨の急速な流出に直面した韓国政府はIMF(国際通貨基金)に緊急融資を申請。これを契機に総合金融会社と呼ばれるノンバンクがすべて営業停止となり、金融システムは麻痺状態に陥りました。大企業、中小企業を問わず企業の倒産が相次ぎ、多くの人々が路頭に迷うことになりました。(出典:アジア経済研究所)

状況を変えるべく、ペク・ジョンウォンさんは新たな人生を歩もうと香港を選択。この時、様々な事業アイテムが浮び上がり、韓国に帰国して再び事業を始めようと決心しました。

帰国後、17億ウォンの債権者を全て集め「機会をいただけるなら、食堂を運営して全て返します」と話し、彼の信念が通じたのか債権者たちは機会を与えることにしたといいます。

その後、ペク・ジョンウォンさんは事業に全力を注ぎこみ、その真価を発揮。1998年に「ハンシンポチャ」を皮切りに、2002年に「本家(ボンガ)」、2005年に「セマウル食堂」、2006年に「香港飯店0410」など、出店したフランチャイズ食堂が大ヒットし、17億ウォンの借金を全て清算することに成功し、今の地位まで上りつめました。

事業家として注目され、テレビに出演したことで顔が知られ、事業を繁盛させたペク・ジョンウォンさんは「THEBORNチャイナ」と「THEBORNアメリカ」、「THEBORNジャパン」を追加で設立し、海外も攻略しています。

ペク・ジョンウォンさんを支えている妻は誰?

多忙な日常を送り、多くのメディアから引っ張りだこの人気料理研究家を支えている奥さんはどのような人なのでしょうか?

ペク・ジョンウォンさんは2013年1月、女優のソ・ユジンさん(1981年8月11日生まれ)と結婚して話題になりました。

2人は15歳の年の差婚で一男二女を儲けており、多情多感な性格で子供たちに愛情をたぷり注ぐ、おしどり夫婦としてよく知られています。

ソ・ユジンさんもペク・ジョンウォンさんと同様に料理に関心が高く料理本を出版しており、2人は知人の紹介で出会い、料理という共通の趣味で急接近したといいます。

まとめ:ペク・ジョンウォンさんの成功の秘訣

ぺク・ジョンウォン先生のお店「香港飯店0410」
新大久保にあるぺク・ジョンウォン先生のお店「香港飯店0410」(出典:筆者)

韓国の街中はもちろん、新大久保のコリアンタウンを歩いていると、再び行こうとしていたお店が無かったり、廃業を余儀なくされる店が後を絶ちません。

韓国料理店、韓国スーパー、芸能人関連グッズ、コスメ店など、ただでさえ競争が激しい地域にも関わらず、ペク・ジョンウォン先生のフランチャイズ店の人気は継続しており、香港飯店の前には今でも長い列をなして並んでいるお客さんたちを見かけます。

これは、ペク・ジョンウォンさんの経営スキルとたゆまぬ努力で成り立っていると言えるでしょう。

情熱と努力

ペク・ジョンウォンさんは料理に対する情熱とたゆまぬ努力で成功しました。彼は青年時代から料理に対する情熱を持って勉強し、練習し、自分の技術を発展させ続けるために努力し、味とクオリティに真心を尽くしてきました。

創造性と独創性

ペク・ジョンウォンさんは、独特で創造的な料理スタイルを持っています。彼は伝統的な韓国料理と西洋料理を融合させたり、新しいアイデアを取り入れて独創的な料理を作り出します。これらの創造性と独創性は、大衆にとってより特別なものにしました。

コミュニケーション能力

ペク・ジョンウォンさんはとてもフレンドリーな性格で、コミュニケーションする能力が優れています。文頭で取り上げた“人助け”などの行動や、どんな状況でも人々と円滑にコミュニケーションをはかり、親切で謙虚な態度で人々とのつながりを大切にしています。

このようなことから、ペク・ジョンウォンさんは多くの人にインスピレーションを与え、結果的に誰からも愛される料理人になったのでしょうね。

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